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2010年4月

2010年4月29日 (木)

平成22年4月29日 鴫内山

昨年、一昨年と大佐飛山に行っている。今年は時期を逸してしまった感があるが、鴫内山経由で大佐飛山に登ろうと考えた。今年、中高年の山と温泉のよっちゃんさんが鴫内山から黒滝山への周回をしている。4月も終わろうというこの時期だめもとでトライした。

鴫内山(1413.8M)

今回はやんちゃオヤジさんに加え、Nさんも加わった。二人ともひょうたん峠から無雪期に大佐飛山に登っている。残雪期にももちろん登っている。二人とも今回の鴫内山経由は初めてで、鴫内山自体も未踏。野球親爺は5年前の4月に湯宮から鴫内山に登っている。今日は鴫内山経由で大佐飛山に行き、帰りは百村山方面に下りようと考えた。

登り口は今主流になっている?1005m地点を経由するルートを選択した。百村から林道に入り大巻川を渡り林道の分岐する約740m地点に車を停めた。長丁場になるので4時前に出発した。10分ちょっとで新しい道標のある登り口に着き山に取り付く。最初はつづら折りに登って行く。そのうちロープの設置された滑りやすい急な道を小雨の降る中直登する。傾斜も多少緩くなってくると辺りも明るくなり始め、ヘッドランプを消した。

やがて東側からの破線と合流し、進路も南から西に向かっていく。南東の肩に出る手前の100mほどの登りは急斜面でロープが張られているが、高い位置にあり周囲の木を頼りに登って行くほうがよさそうだった。肩に出ると笹が目立つが、笹刈りしっかりされていて、北西方向に進んで行くと三角点と山名板のある鴫内山山頂に着いた。5年前は周囲の藪を掻き分けて辿りついた所で、三角点の周囲だけが刈りはらわれていたことを思い出したが、今回は天国だ。

少し休んでさらに先に進む。ここからも笹刈りがきれいにされていて、歩きやすく、残雪も所々にあるだけで順調に進んで行った。1491Pはいつの間にか過ぎ、徐々に登って行ったが、1580m付近で突然藪になってしまった。ちょっと足を踏み入れてみたが、雨で滑り、天気も悪いし、この先もずっと藪が続く可能性も高そうなので、軟弱中年隊はここで戻ることにした。まだ6時半をすこし過ぎたところだった。天気が良ければ無理してでも先に進んだかも知れない。

帰りは早い。鴫内山からの下りはロープ伝いにあっという間に下りた。分岐の手前で百村山から黒滝山に連なる尾根が見えた。この時は一時的に天候が回復していた。分岐からは東に進路をとり鉄塔経由で下りることにした。道はしっかりとしていて迷うことはない。カタクリがいたるところにあった。鉄塔からは巡視路を下りて行った。シカ除けネットを3回くぐって結局合計3つの鉄塔を経由して林道に出た。巡視路にはカタクリ、ショウジョウバカマ、その他名前のよくわからない花が結構咲いていた。林道を駐車地まで登り返して、不完全燃焼の山歩きは終わった。来年は時期をしっかり見極めて鴫内山経由で大佐飛山山頂に立ちたい。

山を下りてから、雨が降ったり晴れたりと天候もいまひとつ安定していなかった。山でも多分もっと雨に降られただろう。途中撤退の言い訳にしたい。

Photo

2010年4月25日 (日)

平成22年4月25日 飯盛山(那須)

先週の於呂倶羅山以降、足の調子が良くない。23日に野球をやったら足が攣ってしまった。今日は山はやめようかと思ったが、天気もよさそうなので出かけることにした。那須の山で、いや栃木の山の中でも最難関の部類に入る鬼面山が候補に挙がったが、今回はどうか? 偵察も兼ねて飯盛山に行ってみて、体調が良ければその先まで行こうかと考えた。結果といえばやっぱり甘くはなかった。

飯盛山(1364M)

北温泉の駐車場に車を停める。北温泉に向かって下りていくと前方に飯盛山、鬼面山が見えてくる。露天風呂の脇を通って橋を渡り、ジグザグに登って行く。傾斜が緩くなってまっすぐ進むようになると、掘れた登山道に残雪があった。林道に出合って左折し、3分ほどで「レクリエーションの森」の看板のある林道終点に着いた。ふきのとうがいくつかあった。看板の右に踏み跡があり、しばらく進んで行くと、木の階段が沢に下るように付けられていた。毘沙門沢はそれほど水量は多くなかったが、濡れないように渡渉する場所を選ぶのに少し時間がかかってしまった。アルミの梯子は水の中にあって、持ち上げようとしたら滑ってしまったのでそのままにした。

どこから取り付こうかと斜面を見て、あちこち動き回ったが、藪も雪もない地形図の崩落地の淵を登り、途中から藪の中に入って行った。残雪の部分と藪の部分があり、残雪を利用して登って行くが、傾斜があまりにも急になったため、少し戻って北寄りに進路を変えて、雪のない所を登った。笹は低く登りやすかった。傾斜が緩くなり、山名板のある山頂に着いた。

Dsc03988

Dsc03997

山頂から鬼面山が枝越しに見えた。山容を見ると今日の自分の状態では途中敗退は確実と思えたので、不完全燃焼の感もあったが大人しく戻ることにした。帰りは残雪部を下まで下りすぎてしまったので、少し上がって崩落地脇を下りて行った。ここにもふきのとうがひとつあった。

今度は簡単に渡渉でき、対岸の斜面を登って行く。これが少しつらい。林道終点に出る前にさらに上に行き、三本槍へ向かう登山道に出た。そのまま北温泉に向けて下りて行った。北温泉から駐車場まで登るのがこのルートの難点だが仕方ない。駐車場に着いた時には歩き始めて3時間近く経っていた。

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この後、御富士山(497.3M)に登った。山の南の路肩に停め、山の東から薄い踏み跡を登って行った。山頂には定番の山名板。帰りは北側に向かう参道?を下りて行った。10分ちょっとだった。

2010年4月19日 (月)

平成22年4月18日 於呂倶羅山

栃木の山の中でも最難関の部類に入るであろう高薙山に登ろうと検討した。残雪期の今頃が最適か。山王峠から於呂倶羅山に登り、稜線伝いに高薙山へ行くルートがいいと思われた。やんちゃオヤジさんと相談し日程を決めた。懸念材料のひとつは林道が光徳ゲートで通行止めのため、於呂倶羅山の登り口まで歩かなければならないこと。さらには16日から17日にかけて雪が降ってしまったことだった。

結局は慣れない雪道歩き、スノーシュートラブル等々あってやっと於呂倶羅山に辿りつけただけだった。もし一人で歩いたら林道歩きで帰ってきていただろう。やんちゃオヤジさんにただただ感謝感謝の一日だった。

於呂倶羅山(2020.4M)

前夜いつもよりかなり早く床についたが、何故か殆ど眠れず、ボーっとした頭で起き出し、約束の時間を間違え、30分以上も早く待ち合わせ場所に到着してしまった。幸いやんちゃオヤジさんも早く姿を現し、予定より早目に出発した。

まだ暗い中光徳のゲートに到着。スノーシューを装着して歩き出す。林道を行けばよかったのだが、山王峠と光徳を結ぶ遊歩道?を歩こうと右往左往してしまった。さらにスノーシューの固定がうまくいかずすぐ脱げてしまうというトラブルでその都度立ち止り装着しなおしたりして焦ってしまった。

スノーシューはあきらめつぼ足でやんちゃオヤジさんのトレースを追うことにした。はっきりした道も分からず、道らしき所を歩いていくが、GPSで確認するとどうもおかしい。ここでも行ったり来たりしながら結局林道まで行こうと適当に登って行った。1575m付近で林道に出合い、そこからは林道を歩いていく。2,30cmもぐる雪道は足をいつもより高く上げなくてはならないので消耗してしまった。

途中からショートカットしながら進んで行く。太郎山登山口さらに山王峠の標識を過ぎるとと前方に於呂倶羅山が見える。左のほうに高薙山らしき頂も見える。自分の中ではもうこの頃には高薙山はあきらめていた。於呂倶羅山も行けるかどうか。やっとの思いで旧栗山村と旧日光市の境界の於呂倶羅山の登り口に着いた。 歩き始めてから2時間半近く経っていた。

少し休んで取り付く。鉄塔までは巡視路を行くので歩きやすかった。その先からはテープ頼りに登る。大岩に右から登ると先に進めなくなってしまったのでこわごわと引き返して、左(南)をまいて尾根を進んだ。ここからもテープを案内に進む。雪に滑って登りづらい。雪の下の笹も厄介だった。急登をやんちゃオヤジさんの後を休み休み進む。木や笹をつかんで体を押し上げないと登るのが難しい。途中でアイゼンを装着した。10mくらい登っては休むの繰り返しでやんちゃオヤジさんに迷惑をかけながら何とか進む。

傾斜が若干緩くなると東の肩と言われている場所に到達。ここで一息つけると思ったが、あまり楽にはならなかった。これほどまでにバテるとは情けない。思わず弱音を吐くが、やんちゃオヤジさんの「おぶってでも山頂に連れていく」の言葉に自分を奮い立たせる。ザックの重さもバテの原因だろう。水分を3L近く持ってきた。殆ど用をなさないピッケルまで持ってきてしまった。ここで水1.4Lとピッケルをデポしていく。(スノーシューは既に林道にデポ)

だいぶ楽になった。あとわずかな登りだ。山頂手前の東のピークを過ぎ、前方の高みを左から注意して登って行くと木に山名板が二つあるのが見えた。やっと於呂倶羅山山頂に着いた。ここに来るまで足も攣った。これほど消耗したのは久しぶりだった。10時ちょうどだった。歩き始めてから5時間20分以上かかってしまった。

Dsc03921

山頂は絶景だ。高薙山と思われる頂が見える。かなり遠そうだ。温泉が岳の左には真っ白な白根山、その左には皇海山が見える。もちろん男体山も見える。疲れも一気に飛んでしまいそうだ。エネルギー補給をしてしばし休憩。30分近く周囲の景色を楽しんだ。

帰りは来た道を戻るだけだ。自分たちの(やんちゃオヤジさん)のトレースを辿って下りていく。東の肩から先はかなりの急傾斜で何度も5mくらい滑り落ちながら進んで行く。大岩の右を巻き終わると最後の登りで、これが疲れた身には結構きいた。鉄塔に着くと一安心。巡視路を下りて林道に下り立ちやっと人心地着いた。山頂から1時間ちょっとで下りた。

ここからさらに林道を下りていかなくてはならない。途中でデポしたスノーシューを回収。山王峠への登りもクリアし、適当にショートカットしながら下りて行った。林道には明らかに我々とは違う人の歩いた跡があった。途中からは林道を歩いていき、ゲート傍の車に戻った。朝、雪に覆われていた道も一部路面が露出していた。於呂倶羅山登り口から約1時間半だった。

今日は一人だったらすぐに引き返していただろう。山頂を踏むことができたのはやんちゃオヤジのおかげである。ずっとラッセルをしていただき、本当に有難うございました。

Photo

2010年4月12日 (月)

平成22年4月11日 松倉山、片倉山、鎌倉山

11日は地区の用事があって、10時から11時ごろまで拘束される。朝3時ごろから行動を開始することも考えたが、前日の夜にあれこれ検討しているうちに疲れてしまい、結局、用事が終わってから出かけることに決めて寝た。場所の選定は朝起きてから始めた。天候があまり良くなさそうだったので、あまり時間がかからずに登れる所を挙げてみる。県の東部の未踏の山が10山ほどあったので、その中から比較的近い所を選んだ。それでも車で少なくとも1時間はかかるが。偶然にも3つとも--倉山になった。

松倉山(345.4M)

旧烏山町大木須集落に入り、松倉山観音堂の案内を見つけた。Uターンして路肩に停める。自転車に乗った土地の人がいたので前方に見える山が松倉山かどうか聞いた。350年以上前から続く旧家の人のようで観音堂の話などもしてくれた。

例によってここから歩いて行くのが野球親爺流。要するに狭い道を車で行くのが嫌なのです。案内板の所から入って行く。人家がなくなり少し行った所に松倉山登山口の道標が立っていた。本来はここから山に取り付くのが正しかったようだ。そのまま林道を進んで行く。20分ほどで林道終点。ここから山道を登って行く。

5分も経たないうちに観音堂に出合う。さらに3,4分ほど進むと、朽ちた色の抜けた道標がある場所から左に登って行く。そこからわずかに登り一等三角点のある山頂に着いた。多少展望はあるが、見える山が同定できなかった。登ってきた方向と反対側に踏み跡があった。

休みもそこそこに下りていく。観音堂の先で左に行く道があり、「二ツ堂」の道標があったので進んで行くと、屈曲点の木に「私有地につき進入禁止」の板が取り付けられていた。無用のトラブルは避けたいのですぐに戻った。林道終点の所には直進する道があり、帰りはここを進んでみた。この道が地形図の破線路だった。下って行き信頼の置けないような木の橋を渡り、先の登山口の道標の場所に出て、元来た道を戻って車に着いた。 約1時間。

片倉山(193M)

茂木町と常陸大宮市の境界にある片倉山。茂木町側の伊川勢橋を渡ったすぐの所の路肩に停めた。舗装道路を歩いていく。しばらく行くと南に破線路が分かれ、ここから入って行く。1,2分の所に祠と赤い鳥居があった。さらに進んで行き、左の斜面に踏み跡があったのでそこから取り付いた。

踏み跡に従って登る。一旦平坦になり、尾根に乗ったと思ったが、さらに先に高みはあった。さらに苦戦しながら登ると県境尾根に到達した。ここから南に向かうが、篠竹がうるさいやせ尾根だ。徐々に進んで行き少し登ると山名板のある片倉山山頂に着いた。

ここから南に下って行ったが、県境界線上よりも東寄りの尾根を下ってしまう。ここに道型があったためだ。少し笹がうるさかった。踏み跡らしきものがあって強引に下りていくと明瞭な道に出た。強引に突破したおかげで、ポケットに入れていた大事な万歩計を落としてしまった。戻って探す気にはとてもなれなかったが仕方ない。

この道を左に行くがすぐに戻って右に向かう。いつの間にか県境尾根に乗ったようだ。ここから尾根が切れる所でテープにひかれて右(西)に進む。さらに下りると右と左の両方にテープがあったので、傾斜の緩そうな右ノ沢に下りた。そこから沢を西に向かって進む。歩きやすい所を見ながら右左に進んで行った。このあたりに色のさえないカタクリが点在していた。

どうにか逆川の脇に出た。はっきりとした道はないが、西に向かって進んで行く。小さい沢に当たると道がなくなってしまう。正面の斜面を見ると踏み跡がある。仕方ない。ここを行くしかないだろう。斜面を登ると反対側に舗装道路が見えた。ここから急な斜面を下りて行ってやっと道路に下りることができた。もっとしっかり地図を読めるようにしないといけない。

舗装道路を敗北感にまみれて歩き車に戻った。万歩計はもったいないことをした。   約1時間20分。

Photo_2

(川の中を歩いたわけではありません。)

鎌倉山(216M)

ふるさとセンター茂木の駐車場に停める。ついに雨が落ちてきた。折りたたみ傘を差しながら歩き出す。関東ふれあいの道を歩いて山頂を目指す。小さな橋を渡って登って行く。石の階段が所々ある。高さがまちまちで歩きづらいことこの上ない。しばらく登ると菅原神社があり、その先に石の鳥居がある。どうも裏口入学らしい。先に進むとあずまやのあるピーク。環境省・栃木県と書かれた鎌倉山の看板がある。ここが山頂か?舗装道路があり、車でここまで来られるようだ。ピークがいくつか見える。とりあえず高そうな所は行ってみようとまず道路を歩いて西側に行く。207mピークの南西のピークに行ってみたが何もなかった。207mピークには石祠と木の上に鳥箱?があった。あずまやピークに戻り南の高みに行ってみた。果せるかな山部さんの山名板があった。ここが山頂なのだろうか。まあ、主なピークはすべて歩いたので良しとしよう。地形図の鎌倉山の表記は微妙な位置についている。216mピークではなさそうだが。

これでやっと降りられる。傘を差しながら濡れた石段を下って行くのもちょっと危ない。慎重に滑らないように足を置きながら進む。那珂川を真下に見ながら歩くと結構高度感がある。15分ほどで駐車地に着いた。

最も高い所が山頂とは限らないところが厄介だ。また、三角点のある所が山頂という訳でもない場合があるので、これも厄介。とりあえず周囲の高いと思われる所を歩けばいいのかもしれない。      40分。

2010年4月 6日 (火)

平成22年4月4日 鶏鳴山

「ウォッちず」をあちこち行ったり来たりしていたら、鶏鳴山の場所には何も記載がないのに気づいた。以前には鶏鳴山と書かれてあったかも定かではない。この山の西にある中山はちゃんと記載されている。これはどういうことなのか。ちょっと疑問に思った。ついでに行ってみようと考えた。

鶏鳴山には過去に2回登っている。最初はもう10年以上前。一人で山歩きをはじめたころで、よくわからないままガイドブックをたよりに歩いた。ゴルフ場の先から歩き、山頂をピストンした。この時は尾根の取り付きの案内に気付かずに道を進んでしまい、棘だらけになって道がなくなるところから踏み跡をたどって尾根にどうにかのった。三角点のところまで行ったかどうかも記憶にはない。下りが急だったのだけは覚えている。

2回目は3年前。車は同じ場所に停めた。歩き出してすぐに右の斜面に取り付き、中山を経由して反時計回りに歩き、鶏鳴山を北斜面から登った。帰りは815Pから踏み跡をたよりに下りて行った。

さて今回はどうしようか。レポートを読むと登り口あたりにログハウス風の建物もあり、作業道がかなりできているらしいことが分かった。オーソドックスに一般的なルートを登って、下りは前回と同じに815Pから下りることにした。

鶏鳴山(961.4M)

いつもと同じ場所に停めた。歩き始め、林道の分岐には鶏鳴山の案内板があった。右に進むと沢に小滝があった。下りでここに戻ることになる。鶏鳴山Pと書かれた場所から橋を渡る。橋も以前よりも立派になっているように思われた。さらに進むと左にログハウス風の建造物があった。さらに進むと尾根の取り付き場所には見落としようのない案内があった。でも、何となく最初に来た時と違うような気がした。

この後は尾根を進んで行く。途中で作業道を歩く形になったり、作業道を横切ったりと、どこにも作業道があって、あまり雰囲気は良くない。作業道によって尾根が途切れ右側から尾根に登ると、北の肩への急登になる。ロープが上まで延びていた。別に頼らずに登れる。下りにはロープにつかまったほうが安全だろう。

北の肩からは進路は南に変わる。石祠のある場所から日光連山が見えるはずだが、中腹から上は生憎雲に覆われている。前日光の山々はよく見えた。新谷への道標もあって、わずか3年でだいぶ変ったように感じた。三角点の所に行くと、立派な山名立て看板は前と場所が違っていたような。思い過ごしか?

さらに南下し947P手前の岩場の展望台で景色を見るが曇りがちで前回のような爽快感はなかった。815Pまで行ってから少し休んだ。ここからは東の尾根を下って行く。踏み跡もしっかりしていて漫然と進んでしまう。作業道が比較的上のほうにも延びている。右斜面には伐採された木が放置されていた。

踏み跡をたどって行くと左に沢と林道が見えてくる。どこに下りていくのかと進んで行く。左側の林道に下りるようになっているのだろうが、最後は道のない斜面を下って行くと、小滝の所に下りられた。

いたるところに作業道が延びているような印象を受けた。ガイドブックなどで紹介されているルートを今回は歩いたが、小来川からのルート、笹目倉山をつなぐルート、石尊山への尾根のルートなどを歩いたほうが無粋な作業道をあまり目にすることがないのではないか。

鶏鳴山の文字はどうして地形図(正確にはウォッちず)から消えてしまったのだろうか。

Photo

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