旧栗山村は山の中である。面積としては広いが人の住める地域は限られていて、殆どが山だ。それだけに名のある山が多い。まだ登っていない山がまだ10山以上あると思う。少しずつ登ろうと色々考えていた。
今回は土呂部地区にある日加倉山と葛沢山を登ろうと計画した。昨年、烏が森の住人さんがオホッパ(オッパタ)沢南の尾根から日加倉山に登っている。このルートを登りに使い、日加倉山山頂から北に伸びる尾根を進み、1261標高点の手前で林道と尾根が合わさる部分があるので、そこへ向かうことにした。そこから、林道と県道を歩いて、北進し葛沢山に登り、あとは林道と県道を利用して土呂部に戻るルートを考えた。
日加倉山(1368.6M)、葛沢山(1540.0M)
土呂部地区に入り登り口の林道を過ぎて、駐車する所を探していると大分上がった所に地区の公民館があって、空きスペースに駐車させてもらった。引き返す形で林道に向かい右折し少し進み、橋を渡って適当に取り付いた。少し笹が煩いが支障はない。尾根に乗ると左には赤薙山から女峰山にかけての山並みが枝越しに見えた。さらに進むと太郎山が見える。尾根には獣道というより踏み跡がつけられていた。1330ピーク手前ではワイヤーが一部むき出しになっていた。ピークから下り鞍部から登り返すと前方で動物が横切り下へ向かうのが見えた。おそらく鹿だろう。そこかしこに糞があったから。
歩き始めてちょうど2時間で1360m級ピーク(キノコノ峰?)に着いた。テープが色々な方向にあってうっかりすると間違えそうだ。西のほうには枝越しに川俣湖が見えた。日光連山、県境の山、高倉山なども枝越しに見えた。
葉の落ちたこの時期でも見通しがあまり良くなくここからの下りは難しそうだ。しっかりコンパスを合わせると下りるべき方向にテープが付けられていた。急降下すると右は深い谷になっている。右の急斜面を意識しながら進む。鞍部から緩やかに登って行くと日加倉山山頂に着いた。いつもの山名板がお出迎えしてくれる。枝越しに周囲の山々が見える。ここで少し腹ごしらえをして、当初の予定のルートを確認する。
ここからの藪の程度は不明だが、今までの様子ではあまり大したことはないだろうと考え、予定通りに北へ踏み出した。薄らと踏み跡はあって、尾根が分岐する所では逐一地形図を確認した。2か所ほどカタクリが咲いているのを見かけた。このルートの途中には明らかに人の手が入っている道型が見られる部分もあった。左下に崩壊したような林道が見えると林道との合流部も近い。進路がやや東に向かうと林道に出合った。下り立った林道にはふきのとうが3,4個あった。
ここからしばらくは林道歩き。10分ほど行ったところから振り返ると太郎山から於呂倶羅山、高薙山?などがよく見えた。ここで少し休んで景色を堪能した。ここから山に取り付く踏み跡もあったが、大人しく林道を進む。左の斜面はおびただしく崩壊していて危険だった。県道に出合い、舗装道路を10分ほど進むと、道が二手に分かれ、ともにゲートで通行止めになっていた。ワゴン車が停まっていて、もしかしたら葛沢山に行ったのかもしれない。右の道のゲート左をすり抜けて先に進んで行った。
林道からの眺めも良く、女峰山、帝釈山、小真名子、太郎山、於呂倶羅山、高薙山などが見えた。さらに進むとおそらく県境の帝釈山系の山々が見えていた。しっかりと同定はできなかった。ゲートから25分くらいでカーブミラーがある。その向かいにピンクのテープが見え、踏み跡がついていた。ここから取り付いてみた。
取り付いてすぐに標石とポールがあり、その先は踏み跡は怪しくなったが、委細かまわず高みに向かって尾根に乗った。ここからは北に向かい葛沢山山頂を目指す。カタクリが群生と言うほどではないが咲いていた。
さらに北に進んで行くと徐々に傾斜はきつくなっていく。ゆっくり進んで行くと傾斜も緩やかになり、東に進むと葛沢山山頂に着いた。歩き始めてから5時間15分経っていた。山名板は栃木の山紀行のものともう一つごく小さい板に葛沢山と白いペンキ?で書かれたものがあった。あとで調べたら山部さんの書いたものらしかった。
ここでしばし休憩。今日はだいぶ暑いようだ。日差しも強い。水分は2.3リットル持ってきている。この分ならどうにか持ちそうだ。これから季節的にはどんどん暑くなるので背負う水分が多くなってくるので大変だ。
帰りは10分ちょっと下った鞍部から林道に出た。残雪がとけて沢になっていた。景色を見ながら戻って行く。ゲートの所にあったワゴン車はなくなっていた。車の主とは行き違いになったのだろうか。ここから駐車地までどのくらいかかるかは分からなかったが、14時前には着くだろうと予測した。ショートカットできる所はショートカットして進んだ。途中でサルに出会ったが、1匹だったのでこちらが威嚇したら逃げて行った。群れでなくてよかった。
沢の音を聞きながら歩くのは気持ちいものだ。単調な舗装道路歩きもそれほど苦にならなかった。ドロブックルという名のキャンプ場を過ぎて間もなく駐車地の公民館に着いた。右足首に軽い痛みがあり、サポーターを着けて歩いたが、痛みは殆ど感じなかった。もう少し時間がかかるかと思ったが、林道に下り立ってから1時間半弱で到着した。全行程で7時間10分弱だった。
土呂部公民館には分校跡の碑が建っていた。昭和49年3月に閉校したと記されていた。昭和30年代か40年代前半か不明だが、NHKでこの分校のことを題材にある番組が制作されていた。そのことを知ったのはもう20年以上前のことになる。
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